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猫塚

ねこづか【元町】

明治初年、箱館戦争のときの敵軍の兵が、化け猫の霊となって襲ってきたのを切って埋めたところに供養のため建立した祠。
猫塚の写真

松前怪猫塚

雷公神社の社家大野家には「猫塚」の伝承がある。
22代神主大野石見重敬は文武両道に優れ、明治2年(1869)の箱館戦争には松前藩の攻撃軍に参加し、奇兵隊として大いに活躍した。その重敬が、茂辺地矢不来の戦いで強敵と一騎討の勝負になり、悪戦苦闘の末ようやく打ち倒し敵の首級を挙げたと言う。
その後、帰郷し元の神主に戻った重敬が、或る夏の夜うたたねの最中物の怪の気配を感じて目を上げると、矢不来で討ち取った武士の怨霊がランランと目を光らせ勝負を挑んでいる。重敬は驚きながらも床の間の刀を抜いて斬りつけたところ、「ギャッ」という声を残して姿を消し去った。家人と共に土間に残る血痕を辿ると裏庭に大きな古猫が額を割られて死んでいたという。古猫の死骸を庭に埋め石祠と共に椿を植えて「猫塚」と称したと言うのが伝承の由来である。
この伝承はその後忘れ去られていて、昭和35年国道改修の時、大野家が移転改築に際し石祠を移したら、その下から白骨が出て驚いたと言うが、その後の調べでこれが松前怪猫塚と判明し、永く埋もれていた大野家の「猫塚」の伝承は、「松前怪猫塚」として知内の新たな伝説に加えられた。この「猫塚」は、椿と共に今も大野本家の庭に昔と同じ姿で安置されている。

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