ぶ よ う ま つ
武 揚 松
 
【中ノ川】

旧徳川幕府の海軍副総裁榎本武揚が、
箱館戦争の時に植えたと伝えられて
いる松です。

   
武揚松Back

武 揚 松

 慶応4年(1868)9月8日に元号が明治に変わりましたが、
この年の10月北海道南部では、徳川幕府の海軍副総裁
榎本武揚の率いる脱走軍との箱館戦争が起こり、松前城の
攻防を巡って知内も戦場の一舞台となったのです。
 
 その時に、榎本武揚が植えたと伝えられているのが
「武揚松」です。場所は、中の川橋の近く小林商店の裏手に
あり、さほど大きくもない2本の黒松が、国道からも眺められます。
 
 松前城を攻撃する脱走軍は、海岸沿いに進撃の途中、
知内本村を越え萩砂里(湯ノ里)に宿営し、松前藩兵の
夜襲をうけたりしたのですが、遂にこの年松前城は落城
しました。

 松前城奪回を目指す政府軍は、翌年4月海軍に応呼して
反撃を開始、激戦の末松前城を奪回、破れた脱走軍は、
箱館まで退却の途中で激しい攻防となり、村中(元町)では
白兵戦が行われ、住民は荒神神社の森に隠れて難を
のがれたと言われており、脱走軍の死者や馬は現在の
頃内橋付近に埋葬されたということです。

 明治2年(1869)5月18日に五稜郭落城、榎本武揚は政府軍に
降伏し、8ヶ月にわたる箱館戦争が終わりました。そしてこの年、
蝦夷は北海道と改称されたのです。

[TOP]