たてありがわさいもんあと
建有川寨門跡
 
【中ノ川】

知内と木古内の村境で、
木古内側に箱館奉行所の
番所、知内側に松前藩の
番所があり、通行人の手形や
荷物の検査をしていたところです。

   
 
建有川寨門跡
Back

 建有川寨門

 郷土資料館に「為取替申境一礼之事」の書簡が展示されてます。

 現在も、木古内町との境界は一部、建有川になっていますが、
松前藩の頃までは川の流れそのものが境界だったようです。
ところが、蛇行する川の流域は、雨が降るたびに変わり境界が
はっきりしないと言う不便さがありました。その為、これに因って
紛争が起きないように安政3年(1856)正月に両村で取り交わした
約束が、この書簡です。内容は、「例え降雨で川の流れが
どの様に変わっても、お互い文句は言わない。」というもので、
知内村の名主豊吉、年寄八右衛門、百姓代吉兵衛、梅吉の
署名があります。

 ところで、その頃幕府は蝦夷周辺へのロシヤの進出もあって、
北辺警備のため安政2年蝦夷地を松前藩から取り上げ
直轄統治とし、箱館奉行所を置いています。この時、知内から
乙部までの間だけは松前領として残し、他は全て幕府直轄としました。
松前領と幕府直轄地の接点になった建有川には警備のため
寨門(砦)が設けられ、木古内側に箱館奉行所の番所、知内側に
松前藩の番所があって通行人の手形、荷物の検査をしたと言われて
います。先の「為取替申境一札之事」はこの時、幕府領と松前領の
境を明確にするために取り決めさせたものと思われています。

[TOP]