まふじでらあと と さんじぞう
真藤寺跡と三地蔵
〜湯ノ里地蔵堂〜

【湯ノ里】


明治45年に金の鶏伝説で有名な
真藤寺跡と言い伝えられた場所の
土中から出土したもので、現在は
湯ノ里の地蔵堂に安置されています。

   
真藤寺跡と三地蔵
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真藤寺(跡)

 「松前落穂集」に、荒木大学が蝦夷の乱でアイヌに
攻められたとき、黄金の鶏を寺の井戸に埋めて松前に逃れたが、
後にそれが時々鳴くのを、近くに住む人々が聞いたと言うことが
書かれている。
 
 この寺が真藤寺で、「大野土佐日記」に拠ると、荒木大学が
建保5年(1217)出石丸山の裾野に城廓を構えたとき、
此処に菩提寺を建てた。その庭の藤柵に架かる真藤が一面に
咲く様子は、まことに紫の雲がたなびくようであったが、その処は
真藤寺の旧跡として残っていると有り、又この辺りは折々鐘の声
聞こえ諸人耳を驚かす処なりと記されている。

 場所は「此処ちりちり川真藤寺山も近所真藤山と相となえ候」と
あるから、現在のチリチリ川と知内川の合流する国鉄松前線
ミナゴヤ鉄橋付近の山腹と言われており、明治45年(1912)頃、
湯ノ里の堂林イマと言う人がこの辺りから地蔵三体を発掘した。
これは現在湯ノ里地蔵堂に安置されている。

 ところで、黄金の鶏の伝説は永く土地の人々に語り継がれ、
この黄金の鶏を見つけようと探し歩いた者が、昭和になって
からもいたと言う。

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